ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

エンジニアと非エンジニアの仲が悪い組織はなぜ生まれるか?私がコードを書き始めた理由。

こんにちは、にょろりんこの備忘録ブログです。

今日は自分語りでエンジニアと非エンジニアの仲が悪い組織はなぜ生まれるか?という話です。

私はかつて、あるWeb制作会社で営業職として働いていました。クライアントの課題を整理し、プロジェクトを設計し、現場と連携しながら進行を支える──一見すると、役割ごとに機能が分かれた合理的な組織でした。けれど、社内には目に見えない断絶がありました。エンジニアと非エンジニアの間に横たわる、深くて静かな“壁”のようなものです。お互いを尊重し合う関係ではなく、知識や立場を盾にしてマウントを取り合う空気が、日常として染みついていたのです。

具体的には、エンジニアが発する「じゃあやってみてよ」という言葉です。一見すると挑戦を促しているようにも聞こえますが、実際はそうではありませんでした。その裏には、「お前には無理だろう」「知識も経験もないくせに口を出すな」という、明確な排除のニュアンスが含まれていたのです。

この言葉が職場で頻繁に使われていたのは、個人の口の悪さが原因ではありません。「わからないことを気軽に聞けない」、「意見を出すには資格が必要」という、組織そのものに染みついた空気の問題でした。対話や補完関係ではなく、上下関係と専門性で優劣を決める構造が、最初から存在していたのです。

ティアラ_考え事

なんでこんな構造になるのか。自分なりに考え、たどり着いたひとつの仮説は、上意下達の軍隊型トップダウン組織という構造が原因ということでした。「組織の目的のために個人を抑え、命令に従って淡々と働く」──そうしたスタイルは、一見すると経営者にとって理想的に見えるかもしれません。余計な意見も反発もなく、指示したとおりに現場が動く。とても「効率的」です。

しかし、人間は感情の生き物です。そういった組織では、命令する側は、自分の思い通りに命令が通る、反論されない、自分の言葉が絶対になる、そうした構造に心地よさを感じてしまう。──それは、知らず知らずのうちに支配欲を満たす快感へと変わっていくのです。

営業出身の社長は、たしかにプレゼンは上手でした。言葉の選び方や場の回し方には、それなりの経験値を感じる部分もあったと思います。しかし、実力として本当に優れていたかというと、正直なところ疑問が残る部分もありました。というのも、同じような実力を持つ部下に対して、「社長」という地位を使って勝利宣言態度を出している場面がたびたびあったからです。

たとえば、実際には遅刻していないのに、「俺より遅く来たんだから遅刻だろ」と叱責される。問題が生じたわけでもなく、業務に支障もないのに怒られるのは、客観的な成果や合理性ではなく、「気に入らない」という感情に基づいているからです。そして、それが通用してしまうのは、社長が自身の支配欲を満たすために組織を利用しているという構造が、組織内に黙認されていたからだと思います。

社長のスタンスというのは、やがて組織全体に伝播していきます。上の人間が「気に入らないから怒る」「立場で押し切る」という態度を取っていれば、部下たちもまた、自分より下の誰かに対して同じような振る舞いをするようになります。組織全体が「いかに支配欲を満たすか」というゲームに最適化されていく。結果として、支配の輪は拡大し、マウントの応酬が日常の風景になっていくのです。

これもあくまで私の仮説ですが、エンジニアリングの技術もまた、そういったマウント合戦の道具として利用されていたように思います。本来、技術はプロダクトを良くするため、ユーザー体験を高めるために使われるべきものです。しかしその組織では、「自分の方が詳しい」「お前にはわからないだろう」という形で、技術が他者を封じ込めるための権力装置になっていた。それは知識の共有でもなければ、学び合いでもない。ただ、沈黙させるためのカードとして、技術が消費されていたのです。

確かに、それこそが切磋琢磨だ、という意見もあるかもしれません。知識を競い合い、技術を武器にぶつけ合うことで、組織としてのレベルが上がる──そう考える人もいるでしょう。

しかし、それを行うためには、その根底に「尊重」と「目的の共有」がある必要があります。建設的な競争が機能するのは、お互いが「より良いものを作りたい」という共通の意志を持っているときだけです。もしその根底が、支配欲の充足や、優越感のためのマウント合戦であれば、競争はすぐに腐っていきます。

実際、私が見ていた現場は、競い合いではなく、潰し合いに近いものでした。そこにあったのは、「より良いものを作ろう」という健全な対話ではなく、「相手を黙らせた者が勝ち」というゲームのルールです。学び合いや敬意がなければ、競争はただの消耗になります。そしてその消耗が続いた先に残るのは、自信のない者が口を閉ざし、知っている者が傲慢になる組織です。

もちろん、「社会人なら、それが当然だろう」「悔しかったら、自分で技術を磨けばいい」そう言われれば、確かにその通りなのかもしれません。でも私は、そういう在り方を選びたくありませんでした。誰かを黙らせるために技術を学ぶのではなく、誰かと対話するために技術を学びたかった。支配されないために強くなるのではなく、尊重し合える場をつくるために、強くなりたかった。

確かに、こういったことを言うと沢山の反論があります。

曰く「理想論に過ぎない」。対話や尊重は大事かもしれないが、現場ではスピードと成果がすべて。「綺麗事を言っても、結局勝つのは黙らせられるだけの実力を持った人間だ」。

曰く「現実には優位に立たなければ潰される」マウントを取らないという選択は理想的かもしれないが、マウントされる側に回るリスクを受け入れる覚悟が必要だ。曰く「対話はコストが高すぎる」毎回対等に丁寧な対話をしていたら、プロジェクトは前に進まない。時には「黙らせて」進める方が現実的だ。

曰く「支配構造は悪ではなく、統制手段」リーダーとメンバーに上下があるのは当たり前で、「支配」ではなく「責任の所在」を明確にするための仕組みだ。

曰く「強くなることは相手を制圧できる能力を持つこと」対話のために強くなる、というのは曖昧で非効率。強さは「黙らせる力」を持つことでしか測れないのが現実だ。

こういった反論は、企業経営・軍隊的リーダーシップ・ハードな現場マネジメント層からは多くの共感を得ると思います。そして、これらは全て合理的には「あっている」ことと思います。そしてこの「あっている」ということこそが、最大の問題なのです。

軍隊型トップダウン組織のいちばんの脆さは、「論理的には整っているのに、人間的には壊れていく」という点にあります。命令が通る。上下が明確。文句も出ない。一見「統制が取れている」ように見えるかもしれません。でも実態は、上の人間が支配欲を満たすための装置に組織がすり替わってしまっているだけです。

軍隊型トップダウン組織のいちばんの問題点は、論理的にはあっているが、人間の感情を想定していないことです。人は感情の生き物です。どれだけ理屈や制度が整っていても、感情の揺れや欲望を完全に排除して動くことはできません。そして、組織の上に立つ人間ほど、「支配する快感」にさらされやすくなります。自分の言葉ひとつで人が動く。反論されない。全体が自分の顔色をうかがっている。──これらは、一度でも味わえば中毒性のある「麻薬」のような快感になっていきます。命令が通る、上下が明確、文句を言われない。それは一見「統制が取れている」ように見えるかもしれません。でも実態は、上の人間が支配欲を満たすための装置に組織がすり替わってしまっているだけです。

そしてその支配欲は、時間とともに周囲にも伝播していきます。気づけば、部下もまた、自分より下の誰かにマウントを取り始める。支配が支配を呼び、組織全体の思想が「社会をより良いところへ動かしていこう」ではなく「誰が上か」だけで回り始めます。

だから私は、コードを勉強しました。誰かを黙らせるためでも、支配の構造に加担するためでもなく、違う立場にある人と、ちゃんと対話ができるようになるために。「わからないから口を出すな」と言われる側ではなく、「わかろうとするから、話を聞かせてほしい」と言える自分でいたかった。技術は対話の言語になり得ると信じたからです。

Sae-Pornsの設計には、この思想が根底にあります。誰かのための「歯車」になるのでも、誰かを黙らせるためのサービスでもない。自分自身の思想を持って、立ち上がるための技術です。

今はまだ一人かもしれない。でも私は、支配ではなく対話のために、今日もコードを書いています。

それではみなさん、よき開発ライフを。

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