ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

「ITで日本の医療を変える!」という会社に入ったら、SESの人売り営業だったというお話。「SESの闇回」

こんにちは、にょろりんこです。

今日は少し自分語り寄りの回になりますが、「SES企業に入ったら闇しかなかった話」を書こうと思います。

「未経験歓迎・社会貢献・成長できる環境」──そんなキラキラ言葉の裏に潜む、SESのリアルな現場を営業として体験した話です。

私はかつて「ITの力で日本の医療を変える」というキャッチコピーの会社に入社しました。面接の時など、新規事業にも取り組んでいるという話だったので、スタートアップ的な成長性と社会的意義を感じての決断でした。

しかし、入社して最初に言われたミッションはこうでした。

  • 「開発経験ゼロでも月50万円で出せる案件を探せ!」
  • 「会社の投稿に自分の個人SNSアカウントでいいねを押せ!」
  • 「A病院からB病院に看護師を移籍させて150万円売上ろ!」

──意味がわかりませんでした。

その会社の正体は、いわゆるSES(システムエンジニアリングサービス)企業。実態は「スキルのない人材を"キラキラ求人"で釣り、キッティングやヘルプデスク要員として現場に出す」いわば、人売りビジネスだったのです。

私がその会社に惹かれた最大の理由は、「ITで日本の医療を変える」というキャッチコピーでした。「日本の医療には慢性的な人手不足や非効率な業務が多く、そこにITの力で変革を起こす」そんなビジョンに胸を打たれ、「この会社なら社会的意義のあることができる」と思ったのです。

面接では「医療業界の構造を変える新規プロダクトに取り組んでいる」とも言われました。「業界の課題をデータで可視化する」「患者と医療機関をつなぐプラットフォームを構想中」など、それっぽいキーワードが散りばめられ、私はそのビジョンに非常に共感しました。

オフィスはスタートアップ風の内装で、社員も若くて活気があり、「社会課題に取り組んでいる俺たち」という空気があった。実際、当時は医療系スタートアップもメディアで注目されていて、「医療×IT」は伸びる市場という印象もありました。

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  • 「ここでなら、自分も社会を良くする仕事ができるかもしれない」
  • 「たとえ営業でも、意味のあるプロダクトを世に広める仕事ならやってみたい」

そう思って、私は入社を決めたのです。……まさか、その「社会課題を変える」仕事の実態が、看護師を別の病院に移して150万円を売上げることだったなんて、思いもしませんでした。

入社初日、私は「新規事業部」という部署に配属されました。聞こえはよかった。新しいことをやる部署──そう思っていたからです。ところが、初日に上司(社長)から言われたのはこうでした。原文ママでお届けします。

「未経験でも月50万で出せる案件を見つけてこい」

──「ん?なんか面接の時に聞いた話と違うぞ?」・・・

SESなどの人材業界の営業というと、たとえば面接対策を手伝って、履歴書の書き方を工夫して、少しでも良い条件で現場に送り出す、いわゆる「経歴を盛る」ような作業があるかもしれません。

でも、その会社には、そういった作業すらほとんど存在しませんでした。だからこそ、「スキルがなくても高単価で出せる案件を探してくるのが営業の腕」という考えが、社内で当然のように語られていたのでしょう。

たしかに、それを“営業の腕”と呼ぶことはできるのかもしれません。でも、私は思いました。「それって、本当に意味のあることなんでしょうか?」「実力を偽ることではなく、実力を上げることを支援するのが営業の価値なんじゃないか?」「ただ枠を埋めて数字を作るのではなく、その人がちゃんと育っていく環境まで考えるのが、本来の役割なんじゃないか?」そんなことを考えながら、私はどうしてもその仕組みに乗れないままでした。

ただ、これもすべてが悪意というわけではありません。新卒や若手の社員たちは、本気で「人のキャリアに寄り添いたい」と思っていた節があります。「現場に出して、少しでもスキルを積ませてあげたい」──そんな言葉を私は何度も聞きました。

誰かを応援したい、役に立ちたいという気持ちは本物だったのかもしれません。でも、私にはどうしても、それが「機能していない善意」に見えてしまった。キッティングの仕事をひたすら行うことで、果たして、会社が打ち出しているような「キラキラエンジニア」になれるんでしょうか?

社会を変えるとか、医療を変えるとか、成長できる環境とか──そういった理想が語られる一方で、現場でやっていることは、ただ決められたPCの初期設定を繰り返すだけ。「これは本当に、その人のキャリアにとってプラスなんだろうか?」そう問い続けるうちに、私はだんだんと言葉を信じられなくなっていきました。

私がこの会社に対して決定的な不信感を抱いたのは、SNS戦略を見たときでした。ある日、上司からこう言われました。

  • 「会社の公式アカウントが投稿したら、全員で“いいね”と拡散を」
  • 「自分のFacebookやXでも、会社の雰囲気が伝わるように投稿してね」

つまり、「社員が自然に会社を好きでいる」ように「見せる」ことも、仕事の一部だというのです。これってステマなのでは?

驚いたのは、それを誰も疑問に思っていないように見えたことです。新卒の社員たちは「SNSも仕事なんですね!」と素直に受け入れていて、オフィスの写真を撮ったり、ランチの写真をあげたり、「#社会課題に挑戦中」「#成長できる環境」などのタグを自然に使っていました。

彼らには悪気はなかったと思います。むしろ、本気で会社を盛り上げたいと思っていたのかもしれません。

でも私は、その光景を一歩引いた立場で見ていました。

  • 「これって、自分の感情をSNS上で演出させられてるだけでは?」
  • 「本当にこの投稿たちは自発的なんだろうか?」
  • 「というか、そもそもステマなのでは?」

そのとき、はっきりと思いました。この会社は“中身のある会社”じゃない。“中身があるように見せたい会社”なんだ。

  • 「ITで医療を変える」
  • 「スタートアップの成長環境」
  • 「社会課題に挑戦」

SNSを活用するのはいい。発信するのも大切。しかし、やっていることはSESの営業です。とてもこれで「ITで日本の医療を変える!」というお題目は達成できないでしょう。

  • 「ITで医療を変える」
  • 「スタートアップの成長環境」
  • 「社会課題に挑戦」

どれも聞こえはいい。でも、実態は違いました。SNSを活用するのはいい。発信することも、企業として大切なことかもしれません。でも、やっていることは、ただのSES営業です。エンジニアを「商品」として扱い、現場に送り込むために案件をかき集める。誰かのキャリアやスキルアップを支援するというより、“今出せる人材”を右から左へ流すだけの仕事。そんな業務内容で、「ITで日本の医療を変える!」なんてお題目が達成できるとは、とても思えませんでした。

むしろ私は、こう思うようになりました。

何のキャリアにもならない仕事をアサインすることで、数年後には「高齢ノーキャリア人材」を大量に生み出す。

そんな社会課題の供給源になっているのではないか?誰の役にも立たず、当人にとっても未来に繋がらない──そんな働き方を広めているこの会社は、「社会を良くする」どころか、むしろ社会課題を「製造」している側なんじゃないか。

私はその時点で、完全にこの会社に対しての信頼を失っていました。

でも、「社員のリアルな声」として見せられていたものの多くは、ただの社内ノルマだったのです。私はその瞬間、この会社では、自分の意思で言葉を発することすらできなくなるんじゃないかと、怖くなりました。

ある日、上司から言われました。

「このA社の人、5万円上乗せしてうちの人材としてB社に紹介して」

──言われた瞬間、意味はすぐに理解できました。

A社に所属するエンジニアを、あたかも自社の人材であるかのように見せて、さらに5万円を上乗せした価格で、クライアントであるB社に提案するという話です。

つまりこうです:

A社(実際の所属) → うちの会社(間に入る) → B社(クライアント)

──ただ中継して“うちの人です”と名乗るだけで、5万円が乗る。それが当然のように行われていました。私はこの構造に、強烈な違和感を覚えました。うちの会社は、その人のキャリアに何も関わっていない。面接対策もしていない、現場経験のケアもしていない。ただ「人材を右から左に流す」だけ。それでいて、5万円を上乗せして「うちの商材」として扱う。その場にいた誰も、この構造に疑問を持っていないように見えました。でも私は思いました。

これ、誰のための仕事なんだろう?

紹介されたB社には実情が知らされない。A社の人材にも何も伝わらない。上乗せされた5万円が、給料になるわけでもない。ただ、誰のキャリアにも意味のない「マージン」だけが生まれている。

SESというビジネスの本質は、こうして浮かび上がってきます。そして、その自覚すらないまま動いている組織の中にいるということに、ひどく寒気がしました。

話は少しそれますが、「ITで医療を変える」についての正体も書きます。

入社前、私は「ITで医療を変える」という言葉に心を動かされました。しかし、入社してしばらくして知ったのは、この会社の「医療ビジネス」の中身が、人材紹介だったという事実です。

具体的にはこうです。

ある日、上司からこう説明されました。

  • 「A病院にいる看護師さんを、B病院に紹介して移籍が決まれば150万円になる
  • 「看護師紹介って、1人動かすだけでデカいビジネスになるんだよ」

──つまり、「誰かがどこで働くか」という人の配置だけで、会社に150万円の売上が立つ。看護師本人が望んでいようがいまいが、A病院からB病院へ「移す」ことにビジネス的な価値が発生する構造だったのです。もちろん、看護師紹介そのものを全面的に否定するわけではありません。本当に職場が合っていない場合や、転職によって人生が好転するケースもあるでしょう。

でも、私が感じたのはこうです。

その看護師さんが、A病院で楽しく働けるようにすることこそが、本来必要なことなんじゃないか?離職させて、別の病院に移すたびに150万円。それを繰り返すことで会社の売上は伸びていく。でも、それって本当に「医療を変える」ことになるんでしょうか?

むしろ私はこう思いました。その150万円を、紹介料ではなく、A病院の現場改善や、電子カルテの導入、働きやすさを支えるIT投資に使うべきなんじゃないか?そうすれば看護師は辞めずに済むかもしれない。現場も安定し、患者も恩恵を受けるかもしれない。でも、今の構造では「人が辞めること」が前提になっている。「辞めてもらった方がビジネスになる」構造に、誰も疑問を抱かない。

──それって、医療を支える仕事じゃなくて、医療の崩壊を「燃料」にして儲けてるだけなんじゃないか?

私はこのとき、「ITで医療を変える」という言葉が、完全に空虚なものに思えてきました。

なぜ、こんなにも意味のない「右から左」の仕事が、ビジネスとして成立してしまうのか?私自身、ずっとその疑問を抱えていました。でも、会社は好調でした。少なくとも、私の知る限りでは。

社員は増えていたし、案件数も毎週のように更新されていた。会議では「今月の売上は◯千万達成!」「新卒内定◯名!」といった報告が飛び交っていた。社内には「ウチは成長中の会社」「業界で勝っている」という自信がみなぎっていました。

でも、私は心のどこかでこう思っていました。この売上って、一体誰の役に立ってるんだろう?私たちがやっていたことは、人を移動させて、そこにマージンを乗せるだけの仕事。そこに付加価値も支援も、ほとんど存在していなかった。人が辞めたら儲かる。人が不足していればチャンスになる。誰かの「キャリア不安」や「現場の人手不足」を、都合のいい商品として取り扱う。それが、売上になる。

でも、この構造は、確かに“儲かる構造”として設計されている。だからこそ成立してしまっている。スキルがなくても案件を埋めれば数字になる。所属関係なく「うちの人です」と言い換えれば5万円が生まれる。看護師が辞めたら、また紹介して150万円になる。右から左へ、ただ人を流すだけ。そこに「社会課題の解決」という美名を被せて、見栄えだけ整えた「中抜きビジネス」。

そして、それを支えているのは他でもない、「とりあえず現場に出たい」「未経験でもOK」という、人材側の焦りや不安なのかもしれません。

構造としては破綻している。だけど、表面上は「回っている」ように見える。

時に不安をプロデュースして自社の利益にする。それがこの業界の気持ち悪さであり、怖さでもあると私は感じていました。

こんなにも中身のない「右から左」のビジネスが、なぜ成立してしまうのか?それ以上に不思議だったのは、社内でそれを疑問に思っている人が誰もいないように見えたことでした。

会社は数字的には順調でした。売上は右肩上がり、新卒も続々と入ってくる。会議では「今月も達成です!」「内定者◯名です!」と前向きな話ばかり。若手たちは素直に「人のキャリアに寄り添いたい」と語り、マネージャーたちは「営業は数字だ」と自信を持っていた。

でも、私はずっと心のどこかでこう思っていました。これ、本当に誰のためになってるんだろう?構造の中にいれば、それが当たり前になってしまう。誰も「それ自体」を見ようとしない。気づいた方が居心地が悪くなる世界。それが、この業界の一番怖いところだと思いました。

この会社での経験を通じて、私ははっきりと気づきました。右から左へ「人を流す」だけの仕事では、誰の人生も変えられないということに。だから私は、受け身で数字を追いかけるのをやめて、自分でプロダクトを作る側に回ることを選びました。

自分(自社)プロダクトであれば、売上だけでなく、「誰のどんな課題をどう解決するのか」という本質に向き合うことができます。ユーザーの反応もダイレクトに返ってくるし、自分自身も自然とスキルアップしていく。

もちろん、簡単な道ではありません。でも、「意味のあることをしている」という実感は、何よりのモチベーションになります。

社会を変えるとか、成長とか、キラキラした言葉はもういりません。必要なのは、目の前の課題を誠実に解決すること、そして自分の時間を、自分のために使うこと。それだけで、きっと世界は少しだけ良くなる。私はそう信じています。