ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

IT業界に入りたいなら、地方の国公立大学でコンピューターサイエンスを学ぼう。SESは闇しかない。という話

こんにちは、にょろりんこの備忘録的ブログです。

今回は、これからIT業界を目指そうとしている人に向けた“人生を左右する選択”についてのお話です。

結論から言います。

SESなんて選んでる場合じゃない。ちゃんとコンピューターサイエンス(CS)を学べる場所で、腰を据えて学ぶべきです。

その場所とは、地方の国公立大学です。

なぜSESが「闇」なのか?  なぜ地方の国公立大学が「穴場」で「実力がつく」のか?  順を追って解説していきます。

なぜSESを業界で働いてはいけないのか?

SESの構造的な問題(案件ガチャ、スキルがつかない、人売り構造)は、すでに多くのブログで語り尽くされています。ここでは詳しくは触れませんが、実態を少しでも知れば、「自分の時間とキャリアをそこで浪費していいのか?」という疑問は自然と湧くはずです。

私が知っているある20代のSESエンジニアは、未経験からIT業界に入り、  4年間ずっと「キッティング」だけをしていました。仕事内容は以下のようなものでした。

  • ノートPCの開封・電源ON確認  
  • Officeライセンス認証
  • 出荷リストとの照合・箱詰め  
  • お客様先への納品同行

こういった仕事でもキャリアシートには「ITエンジニア」と書かれている──本人は「そろそろ転職しようと思ってます」と言っていましたが、職務経歴に書ける「技術」が何もない状態では、年齢だけを重ねた新人と何も変わりません。

こういった闇がゴロゴロしている、というか闇しかないのがSESです。

「選び方次第では悪くない」──そんなアフィリエイトブログ的な美談ほど危険です。なぜなら、スタッフを育てるより、人を回すほうが儲かる。それがこの業界の本音だからです。

なぜなら、スタッフの成長のために長期視点で投資するよりも、手っ取り早く「人売りビジネス」を回した方が儲かる──それがSES業界の経済的な本音だからです。

本質的に、人を育てるより、人を回す方が利益になる。だから、SES会社はその誘惑から逃れられない構造になっています。

ティアラと鳥

要するに、「この人にとって良い職場」なんて考えていたら利益が減る。だから企業はやらない。これが、資本主義の大原則です。儲からないことを、会社がやるわけがない。

だからこそ、IT業界でキャリアを築くなら「育てる方が儲かる」構造の業界に行くべきなんです。

たとえば自社プロダクトを開発している会社なら、「社員がスキルアップすれば製品の品質も上がる」→「会社も儲かる」という長期的投資=利益という構造が成立します。一方、SESでは「成長されても困る」場合すらあります。(単価が上がると送り出しにくくなるので)

SESがダメというより、構造として「人が育たない」仕組みになっているのです。だから、最初の一歩を間違えてはいけない。育たない場所にいても、キャリアは積み上がりません。IT業界に本気で入りたいなら、最初から育てる文化と構造がある場所を選びましょう。それが、CSを学べる大学や、自社開発企業という選択なのです。

本気でエンジニアを目指すなら、地方の国公立大学が圧倒的にオススメ

コンピューターエンジニアのキャリアで圧倒的におすすめなのは、コンピューターサイエンス(CS)を体系的に学べる大学です。

すでに、例えば文学部を卒業して学士を持っていたとしても修士や学士入学など、入学の選択肢は幅広くあります。

特に、学費の安さと実力主義の環境を考えるなら、地方の国公立大学がコストパフォーマンス最強の選択肢です。

たとえば、会津大学豊橋技科大、北陸先端大(ここは大学院大学)などは、知名度はそこまで高くないかもしれませんが、中身で勝負できるCS系大学として非常に優秀です。

大学でコンピューターサイエンス(CS)を体系的に学ぶ最大のメリットは、技術の「土台」がしっかりと身につくことです。これは、自分では気づきにくい「理解の抜け」を防いでくれるという意味でも非常に重要です。

その他にもいろいろメリットはありますが、非常に重要なのは、大学でCSを学んでいるというだけで、企業からの見られ方が根本的に変わることです。SESやスクール出身の応募者と違い、「ちゃんと基礎を学んでいる人」という評価が前提にあるため、就職先の選択肢が段違いに広がるのです。

目的が明確なら、奨学金という投資はむしろ合理的

もちろん、「大学に行け」と言われてすぐに思いつくのは、お金の問題でしょう。学費がかかる、地方の国公立に通うなら下宿代も必要になる──そういう現実的なコストは確かに無視できません。

でも、だからこそ奨学金という制度があるのです。

世の中には「なんとなく4年間モラトリアムを過ごすため」「キャンパスライフを謳歌するため」だけに奨学金を借り、何もスキルも得ずに社会に出て後悔している人も少なくありません。それは、奨学金の最も無意味な使い方です。

けれど、自分の意志で「CSという専門分野を学びたい」「IT業界で食っていくための武器を身につけたい」と決めた上で、そのために奨学金を活用するなら、それは「自己投資」として極めて「合理的な選択」です。

奨学金は借りるかどうかを悩むのではなく、何のために借りるのかをはっきりさせることが大切です。この差は、たった数年の選択の違いによって生まれます。そして残酷なことに、その差はあとからではなかなか埋まりません。

SESで「実務経験4年」と言っても、コードを書いた経験がほとんどない、そういう人は山ほどいます。年齢だけが上がっていき、いざ転職しようとしても、「ポテンシャル枠」ではもう見てもらえない。年齢だけを重ねた未経験者ができあがります。

だから、もしまだ時間があるなら、迷っているなら、最初から「育てることを前提にした環境」を選ぶべきです。たとえ一時的に借金をしても、それを投資に変える力が大学にはあります。

言い方を変えれば、「育たない環境で時間を過ごすこと」のほうが、よほど高くつくのです。

ここまで見てきた通り、SESは構造的にスキルがつきにくく、育てる意識のない業界です。一方で、大学でCSを体系的に学ぶことは、遠回りどころか最短ルートです。

もちろん、大学に通うには時間もお金もかかります。けれど、スキルも身につかずキャリアにもならない仕事で何年も費やすことこそ、最も高くつく「コスト」ではないでしょうか。

私はというと、CS専攻ではありませんでした。というか文系です。大学で技術教育を受けたわけでもなく、完全に独学でコードを書き、今は個人開発で「SaePorns」という匿名検索エンジンを運営するぐらいにまでは来ることができました。

確かに、独学でも開発はできます。やろうと思えば、ネットに情報はいくらでもありますし、書籍も豊富です。

でも正直に言えば、私は今でも「自分は本質を体系的に学ぶ」というところが弱いなという実感はあります。アルゴリズムの設計、OSやネットワークの基礎、セキュリティの論理、コードは書けても、「なぜそうなるのか?」「なぜその設計が妥当なのか?」を理論で語る力は弱いと認識しています。基礎の基礎の部分が弱いとは思います。自分でコードを書いていて、本質の無理解からくる思わぬバグを修正することはよくあります。

まとめます。

たとえこれまでSESでキャリアを浪費してしまったように感じていたとしても、学び直すのに遅すぎることはありません。本質を学びたいと思ったその瞬間が、再スタートの合図です。

「今日が一番若い日」です。どこからでもやり直せます。だからこそ、これから学ぶなら「育つ場所」を選ぶこと。それが未来を変える第一歩になるはずです。

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sae-porns.org