こんにちは、にょろりんこの雑記ブログです。
みなさんはスペクターって知っていますか?
映画『007』シリーズに登場する、世界を裏から操る犯罪組織。どんな悪い奴かというと、A国とB国の間に不安を煽り戦争をプロデュース、そのあとに自社の商品である「兵器」を売る。という遠慮なくぶん殴っていい悪です。
ようするに「問題を作り出してから、その解決策を売る」ことで儲けるビジネスモデルなんですよね。
実はこれ、映画だけの話じゃありません、スペクター型ビジネスモデルは現実世界にもあります。
現実のスぺクター型ビジネスモデルとは
たとえば就活市場なんかは、まさにこの構造そのものです。具体的には、某R社が考え出した就活戦争スキームを例に考えてみましょう。
まず企業に対しては、
- 「学生の見極めには適性検査が必要ですよ」
- 「自己分析ができていない学生はミスマッチになりますよ」
といった「選抜の不安」を提示します。
──すると企業側は、「じゃあ導入しなきゃ」となる。
一方で学生には、
- 「適性検査はみんな対策してますよ」
- 「自己分析できてないと内定取れませんよ」
と煽りつつ、適性検査対策本や自己分析ツールを売る。
つまり、問題を作り出して、解決策を「両側」に売るという見事な構造。
就活戦争をプロデュースして自社の商材(兵器)を売る。これ、スペクターもびっくりの巧妙さです。
ここで重要なのは、「ビジネスは顧客課題の解決である」とよく言われますが、良い/悪いは別にして、「課題って実は作れる」という事実です。
就活市場における「課題」って、本当に必要なんでしょうか?
自己分析って、資本主義が設計したテンプレートに沿ってやるものなんですかね?
むしろそれ自体が、「自分の人生を他人に決めてもらう人」という分析結果を導いてませんか?
そう考えると──この市場、「構造のための構造」として回っているようにしか見えないんですよね。

さて、話を本筋に戻しましょう。
プロダクトをサスティナブルに育てていくためには、どこかの段階で必ず「収益化」が必要になります。
良いものを作って終わり──ではなく、どうやって価値を循環させ、持続可能な形にしていくか。そのとき必ず問われるのが、「どんなビジネスモデルを採用するか?」という視点です。
そして今回、反面教師として取り上げているのが、この「スペクター型ビジネスモデル」です。
これはつまり、「顧客の課題を解決するのではなく」、「問題を作り出してから、その解決策を売る」ことで利益を生むモデル。倫理的にどうかはともかく、実際に機能してしまっている構造でもあります。
ユーザーはバカだ、という前提に立つと見えてくる
真っ当なビジネスの世界ではタブー視されがちなこの言い方ですが「ユーザーはバカである」ようするに「ユーザーは基本的に、自分で考えない」という前提に立つと、スペクター型のビジネスモデルがなぜ機能するのかが、よくわかってきます。
- 「みんな使ってる」
- 「CMで見た」
- 「今のままだとヤバいかも」
そんな「空気」だけで、人は選び、買い、使い続ける。自分で考えて、比較して、判断するより、言ってくれる方が楽だからです。
プロパガンダごり押しが「価値を決める」社会
日本では(というか世界中で)、テレビCMをバンバン打って、駅に広告を貼り、 「みんなが使ってる感」「知らないとヤバい感」を演出できれば、中身が多少スカスカでも勝ててしまう──そんな状況が、わりと普通にあります。
最近だと、○○ペイの覇権争いがその最たる例です。 技術的・UI的に優れていた○○ペイは他にもありましたが、還元キャンペーンや大量露出といった「プロパガンダごり押し」を仕掛けたペイが、最終的に勝ち残った。
まあこれは、先行する中国市場において、 この手法こそが有効だったという「研究成果」でもあります。
つまり──ユーザーに対して価値を届けようとすることよりも、プロパガンダをうまく演出できる方が勝つ。そういう構造が、既に最適解として存在しているんです。
でも、ここでちょっとだけ立ち止まって考えてみたいんです。
スペクター型ビジネスモデルの限界
- プロパガンダで勝てる。
- 還元祭りで刈り取れる。
- 「みんな使ってる」で安心を与えれば、それでいい。
──本当にそれでいいんでしょうか?
たしかに、スペクター型のビジネスモデルは強いです。人間の不安や焦り、承認欲求を巧みに突いて、問題を「発生させたように見せる」ことで、マーケットを創出する。
でもこれって、本当に価値あるものを届けていると言えるんでしょうか?
長期的に見れば、「不安で釣ったユーザー」は飽きます。疲れます。逃げます。
そして最終的に、「なんかうさんくさい」「信じられない」という空気がプロダクト全体に染みついていく。
スペクター型は、初速は出るけど、信頼が積み上がらない。それが、このモデルの一番大きな限界だと思うんです。
実際に、○○ペイでは最近、小売店の○○ペイ離れが起き始めていますよね。「とりあえず還元してたから導入したけど、別に使われないし」「手数料かかる割にメリットがない」──そんな声が現場から聞こえてくる。
あのときはインパクトがあった。
でも、その後何が残ったのかというと、「よくわからないものを一瞬使った」というだけの記憶だったりします。
ユーザーにも、店舗にも、そこに「信頼の蓄積」はなかった。
ビジネスを永続的にしていくには、際限のないプロパガンダ合戦を続けることではなく、マーケットとの信頼関係をじっくりと構築していくことの方が、はるかに重要です。
- プロダクトがユーザーにちゃんと価値を届けているか?
- ユーザーは納得してお金を払ってくれているか?
- 派手さや不安の演出ではなく、「使い続けたい」と思える理由がそこにあるか?
こうした問いに向き合わない限り、どれだけ最初に話題をかっさらっても、いずれ「選ばれなくなる」時が来る。
信頼を積み上げるプロダクトは、ユーザーをバカにしない
スペクター型ビジネスは「ユーザーはバカ」という前提に立ち、「考えさせずに煽って動かす」ことで収益を得るモデルでした。
でも、永続的に生き残るプロダクトは、まったく逆の姿勢をとっています。
つまり、「ユーザーは賢くあろうとしている」ことを信じて、設計されているのです。
たとえば──
- 分かりやすく「選べる」UIを用意する
- 説明責任を果たす文章やFAQをきちんと整備する
- 不安を煽るより、「こうすれば解決できる」と希望を与える導線を用意する
そんなプロダクトは、一気に売れなくても、静かに、でも確実にファンを増やします。
思考停止させて買わせるのではなく、「考えた結果、これが一番いい」と思ってもらうプロダクト。
それこそが、信頼を積み上げる設計です。
ユーザーとの信頼で永続性のあるプロダクトを作る
たとえば私が運営しているSaePornsという検索サービスも、この「ユーザーをバカにしない」設計思想をできるだけ忠実に守ってつくっています。
何かを押し付けたり、煽ったりすることはしていません。使い方のチュートリアルもなければ、「今すぐ検索しよう!」と促すバナーもない。ただ静かに、データをそこに置いているだけです。
必要な人が、自分の意思でアクセスし、使ってくれることを前提にしています。
このスタンスは、SaePornsのロールモデルである、クレイグスリストやウィキペディアの設計思想を自分なりに研究して出した結論です。
クレイグスリストは、20年以上もほとんど変わらないUIのまま、世界中で使われているクラシファイド(掲示板型)サービスです。
見た目は不親切にすら見えるけれど、説明しすぎず、便利にしすぎず、ただ「そこにある」。その姿勢が信頼を生み出してきました。
ウィキペディアも、広告も演出もなし。
「これが答えです」と断定せず、「出典を丁寧」に示して「判断はあなたに任せる」という設計で成り立っています。
どちらにも共通しているのは、ユーザーの思考を信じていること。と思います。
そして私は、その態度にこそプロダクトの誠実さが宿ると思っていて、SaePornsでもそれを大事にしています。
長く使われるには、派手さよりも、裏切られないことのほうが大事。
遠くに行きたいなら、信頼で行く
アフリカの有名なことわざに、こういう言葉があります。
「早く行きたければ一人で行け。遠くに行きたければ、みんなで行け。」
不安を煽って素早く刈り取るスペクター型のやり方は、たしかに「早く行く」手段ではあります。
でも、遠くに行きたいなら、ユーザーを信じて、共に歩む設計が必要です。
プロダクトは、単に使われるだけでなく、信頼されなければ残らない。
派手じゃなくても、言い訳しなくてもいい。
「ちゃんとある」ことこそが、最大の価値になる時代が来ると、私は信じています。
それではみなさん、よき開発ライフを。
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