ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

「フルリモート」という言葉が問い直す、正社員というポジション

こんにちは、にょろりんこの備忘録ビジネスブログです。

今日は本業の方でクライアントから、「現在、多様な働き方を推進するために社員のリモートワークを導入しているが、コロナ禍も一段落した今、出社に戻すべきかどうか迷っている」という相談を受けました。

この問いは、単に「出社か在宅か」という表面的な話にとどまりません。それは、組織にとって何がコアバリューなのか、そして、そこで働く従業員はどんな心づもりで働くべきなのか、そうした本質的な問いにもつながっています。

今日はそのあたりを、ITエンジニアのサバイバル術という視点も交えながら、少しまとめておこうと思います。

そもそも組織には代替可能なバリューと代替不可能なコアバリューがある

たとえば、銀座にあるような高級ブランドショップでも、リテーナー(販売員)を派遣スタッフで回しているケースは少なくありません。

これは、どういうことかというと、接客という行為そのものは、ブランドのコアバリューとはみなしていないという組織側の判断の表れなわけです。

ノートをとるティアラ

もし「接客こそがブランド体験の要」であるとすれば、本来それは企業文化や理念に深く共鳴した人材、すなわち内部人材が担うべき役割のはずです。にもかかわらず、派遣スタッフという“代替可能な契約形態”で運用されているということは、その接客は「一定水準であれば誰がやっても問題ない」と企業がみなしているということです。

※もし、接客体験(購入体験)がコアバリューだと考えているなら代替可能な外部人材で行うのは支離滅裂ですね。流石にそれはしないはずです。

この構造に悪意はありません。むしろ合理的です。

ここで重要なのは、何がコアバリュー(代替不可)で何がコアバリューではない(代替可能)であるか?ということを企業側は整合性をもって判断しているという点です。

企業は、コアバリューに関わる領域には人を「属させ」、そうでない部分は「外部化する」。その判断は、従業員の立場をも静かに定義しています。

例えば、Apple社の戦略

一方で、例えば、Appleはまったく逆の設計思想を採っている好例です。

Apple Storeにおける接客担当(スペシャリスト、クリエイティブなど)は、基本的にAppleの内部人材として直接雇用されています。

店頭に立ち、製品の背景や価値を語り、ユーザーに「体験としてのApple」を提供するこの役割は、ブランドのコアバリューに直結する仕事と見なされているゆえだと思います。

その一方で、製品の組み立てや製造は、いわゆるファブレス体制——Foxconnなどの外部委託先にアウトソースされていますね。

ここでは「精密に、安定して、規模を持って」作ることが求められる業務なので、成果基準が明確で代替可能なバリューとみなされているわけです。

つまりAppleは、何がコアで何がそうでないかを明確に区分し、コアは内部で、ノンコアは外部で処理するという整合性のある設計をしているということです。

接客は属する。組み立ては委託する。それが組織としての意志の現れなわけです。

自分の提供価値はコアバリューか?ノンコアか?

まず、誤解のないようにしておきます。

ノンコアであることは、決して劣っているということではありません。

むしろ、ノンコアであることは、「対等なパートナー」として組織と向き合えるということでもあります。

たとえば、企業が顧問弁護士を雇うのは、社内に常設の法務部があっても「専門性に基づいた外部の視点」が必要だと判断しているからです。

顧問弁護士は、内部法務部のスタッフと違い、その会社の社員ではありませんが、必要なときに専門知識で助言し、交渉を代理し、リスクをコントロールします。これは、代替可能であることを前提に、責任を持って成果を出すという仕事のスタイルです。

ノンコアな役割とは、「組織の内部で文化を形成する人」ではなく、「外からプロフェッショナルとして貢献する人」。属さないことが弱みになるのではなく、属さないからこそ提供できる価値があるという立場を体現しているのです。

だから、自分が今やっている仕事が「誰かに代替されうるか?」という問いに対して、「Yes」と答えること自体は問題ではありません。

問題なのは、自分は「誰にも代替されない存在」として組織に深く関わっていたいと望んでいるのに、実際には派遣や外部委託といった「代替可能性を前提とした立場」を選んでしまっていたりするチグハグなケースです。

「属していたい」と言いながら、「属さなくても成立する働き方」を選んでいる。その矛盾に気づかないままでは、いつまでたっても自分の立ち位置と願望のあいだに、埋まらない溝が残り続けます。

リモートはノンコアの働き方

話をリモート勤務に戻します。

あらためて確認しておきたいのは、リモート勤務という働き方そのものが悪いわけではないということです。むしろ、場所にとらわれずに成果を出せる人は、それだけで一つのスキルを持っているとも言えます。

ただし、ここで重要なのは、リモート勤務は原則として「ノンコアの働き方」であるという点です。リモートでできるということは、その業務が空間の共有や現場の空気に依存していないということであり、言い換えれば属していなくても成立する仕事である、という企業側の判断を含んでいます。

もちろん、企業によってはフルリモートでもコア業務を担わせるケースもあるでしょう。しかし多くの場合、「そこにいなくても回る」業務がリモート化の対象になります。

つまり、物理的に属していないということは、精神的にも、文化的にも属していないとみなされやすいのです。

そしてここでも、問題は働き方の選択そのものではありません。

「組織に属したい」という願望と、「リモートで距離を置く」という行動に矛盾がないかどうか。コアバリューに携わりたいと考えていながら、ノンコアのベクトルの働き方をしていないか?

そこに整合性があるかが、問われるべきポイントなのです。

整合性のある働き方が重要

ここまで見てきたように、組織には代替可能なバリューと、代替不可能なコアバリューが存在します。

そして企業は、何がコアで何がノンコアかをある程度の整合性をもって判断し、人を「属させる」か「外部化する」かを決めています。

ノンコアの働き方を選ぶことが悪いわけではありません。むしろ、対等なパートナーとして成果で応えるというスタイルは、これからの時代においてますます重要になるでしょう。

ただし、自分の心の中で「組織の中で、欠かせない存在でいたい」と思っているのであれば、自らが選ぶ働き方や立ち位置に、それが矛盾していないかを見つめ直す必要があります。

コアバリューに関わりたいと願いながら、実際にはノンコアのベクトルで振る舞っている。「属していたい」と思いながら、「属さなくてもいい形」で働いている。そうしたチグハグな状態は、自分の可能性を削ることにもなりかねません。

正社員という立場には、「その組織の空気に触れながら、文化や判断の癖を共有する」という見えにくい責任と役割があります。

もし、その組織のコアバリューに携わりたいと思うなら、代替可能性の高まるリモートは避けるべきです。

大切なのは、リモートか出社か?ではなく、自分がやりたい仕事と、選んでいる働き方との整合性です。自分の働き方は、本当にその願いと矛盾していないか?その問いを、あらためて立ち止まって考えてみる価値があるはずです。

 

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