こんにちは、にょろりんこの備忘録ビジネスブログです。
前回書いた記事「『フルリモート』という言葉が問い直す、正社員という立ち位置」に思いのほか反響があったので、今回はそこから派生して、SESという働き方を例に少し掘り下げてみたいと思います。
※前回の記事はこちら
そもそもSESとは
そもそもSES(システムエンジニアリングサービス)とは、エンジニアを企業に常駐というかたちで「人的リソース」として提供する契約形態のことです。
成果物に対する責任ではなく、「決められた期間、決められた場所で働くこと」が求められます。
よくある例で言えば、「月額いくら」で人材を借りる、という感覚に近く、業務委託と派遣の中間のような立ち位置とも言えます。
特定の企業に「属する」わけではなく、プロジェクト単位でアサインされ、期間が終われば次の現場に移る——それがSESの基本的なスタイルです。
SESをやめた方がいい理由(今回の本題ではありません)
今回のテーマとは少しずれるので深掘りはしませんが、このブログでは「仕事を通じた成長」を大事な価値観として扱っています。
その視点で見ると、SESという働き方は本質的に従業員の成長を企業側が歓迎しない構造になっています。スキルが上がり、単価が上がれば「はめ込みにくくなる」——つまり、成長が足かせになる。
その意味で、長期的なキャリア形成という観点からは、おすすめできる働き方ではありません。
たとえば、キッティングばかりを5年間続けている人材は、確かに単価が安く、現場にも「はめ込みやすい」という意味では重宝されます。
しかし、エンジニア本人からすれば成長できない仕事で、低スキルのまま時間を費やすという生き方は望むところではないでしょう。
一方で、より専門性の高いスキルを持った人材は、その分だけ求められる案件も専門的になり、絶対数が少なくなるという現実があります。
そしてSES企業側としては、そうした専門案件を探すのは手間がかかり、単価に対して利益率も見合いづらくなります。つまり、「儲からないから扱いにくい」という理由で、仕事を通じた成長を企業と従業員とで握り合えない。という構図ができあがってしまうのです。
ただし、それでもSESという働き方を選ぶ人がいること自体は、まったく問題ではありません。
働く事情は人それぞれだと思います。例えば、企業に縛られないという生き方自体は尊重される個人の価値観として認められるべきです。

しかし、ここが今日の本題なのですが、それは自分が“代替可能な人材”として契約されているという現実と、企業のコアバリューには基本的に関与できないという立場を理解しておく必要があります。
コアバリューに参画したいなら整合性が必要
前回の記事でも書きましたが、企業には代替可能な業務と、代替不可能な業務(コアバリュー)があります。
そして企業には、戦略としての一貫性が求められます。
そのため、代替可能な業務には、基本的に代替可能な人材をアサインするのが合理的です。
「誰でも一定の水準でこなせる仕事」であれば、「誰でも入れ替えられる立場の人」に任せるのが、企業とし整合性のある判断です。
SESという働き方は、企業から見れば“外部人材”としての就労形態にあたります。
つまり、「一定期間、一定のスキルを持った人が、入れ替え可能な形で業務をこなす」という前提で契約されているのです。
この構造においては、企業のコアバリューに関与することは想定されていません。あくまで「枠を埋める」「稼働を確保する」といった目的のためにリソースとして扱われるのがSESの本質です。
したがって、もしあなたが「もっとチームの中核に入りたい」「事業の意思決定に関わりたい」「組織にとって不可欠な存在になりたい」といった思いを抱えているならば、自分が選んでいる働き方と、その願いのあいだに整合性があるのか?を問い直す必要があります。
属したいなら、属する振る舞いを。コアバリューに参画したいなら、コア人材としての土俵に立つこと。そこに意志と選択のズレがあると、自分自身がもっとも苦しむことになります。
コアバリューに携わりたいなら自社プロダクトのある企業を選ぶべき
前の段落でも書いたとおり、SESという働き方は、代替可能な外部人材として企業に提供される形態です。
つまり、そこで求められるのは「稼働」であって、「成長」でも「中核への関与」でもありません。
当然ながら、企業のコアバリュー——すなわち、その企業が何を大切にし、何を武器として生きているのか——に関与することはできません。
もしあなたが、自分の意見がプロダクトに反映されるような仕事をしたい、あるいは、企画や改善に自分の思考を活かしたいと願っているならば、そもそも自社プロダクトを持っていない企業や、受託開発がメインの企業を選ぶこと自体が、根本的にミスマッチです。
コアバリューに携わりたいのなら、まずはその「価値の源泉」を社内に持っている企業を選ぶべきです。
自社でプロダクトを保有し、戦略や改善を内側で回している組織に入らなければ、属することも、貢献することもできないのです。
SESの本質は代替可能な労働力の提供
ここまでを整理すると、SESという働き方の本質は、企業に対して「代替可能な労働力」を提供する仕組みだということがわかります。
SESは「この人にやってほしい」ではなく、「この枠に誰かを入れたい」というニーズに応える形で成立します。
それゆえ、個人のスキルや成長よりも、「枠にフィットするかどうか」「抜けたらすぐ埋められるかどうか」が評価軸になります。
この構造を理解せずに、信頼されたい・属したい・中核になりたいと願うのは、方向性としてチグハグです。
※このブログの趣旨には反しますが、この構造をきちんと理解したうえで、あえてSESを選ぶというならば、それは個人の自由です。
つまり重要なのは、「どう働くか」ではなく、「どうありたいか」との整合性です。
代替可能なら転職しやすい?──それは幻想です
よくある反論として、「代替可能な人材ということは、どこでも通用するってことでは?」「つまり市場価値が高いってことでは?」という声があります。
一見もっともらしく聞こえますが、それは短期的な流動性の話であって、長期的な市場価値の話ではありません。
確かに、「似たような現場にすぐ入れる」という意味では、SES人材は「回しやすい」存在です。しかし、それは代わりが効くということと表裏一体であり、「あなたでなければダメ」という価値にはなりません。
属さず、深く関与せず、常に交代可能である人材、コモディティ人材は、いくらでも置き換えが効くぶん、高く評価されにくく、キャリアの積み上げにもつながりづらいのです。
※コモディティ→差別化不可能で価格のみで需要が決まる商品。
つまり「代替可能=転職しやすい=得」ではなく、「代替可能=誰でもいい=あなたである理由がない」という現実のほうが、ずっと重いのです。
替えの効かない人材になろう。
もちろん、外部人材であること自体は、何ら悪いことではありません。
前回の記事でも書きましたが、たとえば企業の中には社内法務部とあわせて、外部の顧問弁護士を活用しているケースがあります。顧問弁護士は組織には属していませんが、必要なときに専門性を提供するという「対等な外部パートナー」として信頼されています。
このように、「属さない」という立場でも、信頼を得て活躍することは十分に可能です。
しかし、「コモディティ人材になろう」という意思だけは、明確に否定します。
なぜなら、コモディティ人材——つまり、誰でもよく、代替可能で、差別化されない人材は、給与の上昇も見込めず、仕事を通じた成長も得られず、外部人材ゆえに所属欲求も満たせない、つまり、キャリアにおいて何らのリターンもないからです。
※もちろん、自分なりの理由や戦略があってあえてコモディティ的な立場を選ぶのであれば、それはそれで意味があると思います。ただ、給与も成長も所属欲求も満たせないポジションをあえて選ぶ理由は無いのではないでしょうか?
SESはコモディティ人材、だから選ぶな
ここまでの内容をまとめると、SESという働き方は本質的に「代替可能で、属さず、育たない」構造の上に成り立っています。
それは、企業にとっては合理的でも、働く個人にとっては、何ひとつ積み上がらない危ういポジションでもあります。
SES人材は、誰かが抜ければ別の誰かを入れればいいという前提で動く世界にいます。どれだけ頑張っても、「あなたである理由」ではなく、「この席を埋める人」としてしか見られない。そして、スキルを磨けば磨くほど単価が上がり、扱いづらくなって現場から外されるという逆説さえ存在します。
もちろん、SESは何ひとつ積みあがらないポジションであるということを認識して、そのうえでSESを選ぶのは本人の意思なので最終的には否定できません。
ただし、「お金を稼ぎたい」「成長したい」「チームの一員として信頼されたい」と願うのであれば、何ひとつ積み上がらないポジションを自ら選ぶことに、整合性はない——その事実だけは、見落としてはならないと思います。
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