ぽっぺんしゃんにょろりんこ

匿名・非追跡型アダルト動画検索エンジンの設計ノート

電車の座席を占拠するおじさんに出会ったらどうする?

こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。

いや~、私はあまり出くわさないんですが、今日は出くわしました。

電車がぎゅうぎゅうに混んでいるのに、荷物を座席にどーんと座らせて、2席を占拠するおじさん。

ここで勇気ある乗客や車掌さんが、「お客さん、それは困りますよ」と占拠おじさんを注意して、おじさんがシュンとして退場する。

――そんな展開になれば、スカッと話としてSNSでバズり、このブログのPVもうなぎ上りだったかもしれません。

でも現実には、トラブルになるのを恐れて誰も注意しません。存在は明らかなのに、みんな見て見ぬふりをする。ある意味で、現代に生きる“忍者”のような存在です。

手を合わせるティアラ

そんなとき、ふと脳裏をよぎるのがこの疑問。「マナー違反って、実はやり得なんじゃないのか?」社会に対しては傍若無人に振る舞い、害悪をまき散らしながらも、本人はストレスフリーで生きているのではないか――。

今日はそんな疑問を自己の成長戦略の視点から考えてみたいと思います。

そもそも、座席占拠おじさんはなぜ発生するのか?

座席を荷物でふさぎ、当然のように二人分のスペースを独占する「座席占拠おじさん」。

これは、仕事や家庭、地域で人とのつながりを持ちながら、日々の社会生活をきちんと営んでいる人にとっては、とてもできない行為です。なぜなら、周囲の目や評価、あるいは人間関係の中での信頼を失うリスクが直感的にわかるからです。

しかし、社会から孤立し、失うものがなくなった人にとっては、このブレーキが効きません。むしろ「誰にどう思われても構わない」という感覚から、公共空間でのマナー違反に平然と手を染めてしまう。

その結果として現れるのが「座席占拠おじさん」というモンスターなのです。そしてこの系譜には、わざと人にぶつかって存在感を示す「ぶつかりおじさん」や、店員に理不尽な要求を突きつける「カスハラおじさん」など、さまざまな承認欲求モンスターの亜種が存在します。

いずれも共通しているのは、孤立によって失うものがなくなり、他人に迷惑をかけることでしか自分を実感できなくなっているという点です。

だから、座席占拠おじさんをはじめとするこうした存在は、社会から孤立していなければ生まれない。まさに孤立が生み出した象徴なのです。

座席占拠おじさんは愚かな存在

前述の通り、座席占拠おじさんは、社会から孤立した存在です。

ここで注意しておきたいのは、マナー違反とは本質的に愚かな行為だということです。人間は社会的な生物であり、社会とのつながりがなければ生きていけません。

孤立した人が公共空間でマナー違反を繰り返すと、もともと限られていた社会との接点がさらに削られていきます。

電車なら注意されて居場所を失い、店なら出入り禁止になり、周囲の人からも避けられる。

社会生活の中でわずかに残っていたつながりさえ閉ざされ、結果としてますます孤立を深めてしまう。

マナー違反は一時の自己主張にはなっても、長期的には「社会からの切り離し」を加速させ、やがて自らを追い詰める愚かな行為なのです。

本来、生物にとって最優先すべきは「死を避ける」ことです。その回避本能に逆らい、自ら孤立を深めて生きづらさと死に近づいていくという点で、座席占拠おじさんはまさに愚かな生物であると言わざるを得ません。

だからといって、「孤立して可哀そうだから、社会は構ってあげるべきだ」と言いたいわけではありません。

座席占拠おじさんは自ら進んで生きづらさに向から冷笑しておけばいい──そう思えば溜飲は下がるかもしれませんが、それは宗教ブログの問題解決方法です。

重要なのは、そういった自己承認欲求テロリスト予備軍が現実問題として街のいたるところに存在し、私たちの平静を脅かしており、それにどうやって防衛していくか?という話なのです。

テロに恐怖してしまったらテロリストの思うつぼ

テロリストに恐怖してしまったら、それこそテロリストの思うつぼです。彼らは人々を怯えさせることで存在感を確かめ、影響力を誇示しようとします。

同じように、座席占拠おじさんに腹を立ててかまってしまったら、それは座席占拠おじさんの思うつぼ。反応してもらえること自体が、彼らのゆがんだ承認欲求を満たしてしまうからです。

だからこそ、私たちが取るべき態度は、恐怖や怒りではなく冷静さ。距離を取り、仕組みに任せ、平然と自分の時間を守ることが、最も賢い対処なのです。

品格を鍛えるチャンスでもある

褒められるからやる、お金がもらえるからやる──そうした即物的な動機を超えて行動できるときに、人間の“格”は現れます。

見ている人は見ています。少なくとも自分自身が見ています。

その場しのぎのシンボリックな行動だけでなく、日常のちょっとしたしぐさや態度に自然と出てしまうのが品格です。座席占拠おじさんのように孤立や歪んだ承認欲求が行動ににじみ出るのと同じように、品格の高い人は全ての行動に自然と品が現れる。

だからこそ、マナー違反に動じず冷静に対処することは、自分の品格を磨き、日常の振る舞いに「格」を宿す絶好の機会でもあるのです。

これは何も、周りで見ていた人から評価を得るチャンスである、と言いたいわけではありません。品格のある行動ができる人は、普段の何気ない仕草や態度のすべてにその品格がにじみ出ます。

だからこそ、マナー違反に冷静に対処できるかどうかは、自分自身の品格を確認するチャンスでもあるのです。

つまり、座席占拠おじさんのような存在は、迷惑であると同時に、私たちにとっては「自分の格を試す試験問題」でもあります。

怒鳴り返すのは簡単ですし、SNSに晒して溜飲を下げるのも一瞬の快感になるかもしれません。しかし、それは結局相手の思うつぼであり、同じ土俵に降りてしまうことでもあります。

むしろ、そこで一呼吸おいて冷静に行動できるかどうか。これこそが、長い目で見たときに自分の信頼や評価を形づくっていくのです。

日常の中で不意に出くわすマナー違反者は、避けられない存在です。しかし、そのたびに私たちは選択を迫られています。相手にエネルギーを奪われるのか、それとも自分の品格を積み重ねる機会に変えるのか。

――結局のところ、マナー違反は「やり得」ではなく、「こちらの品格を磨くための教材」なのかもしれません。

品格とは、誰も見ていないときにどう振る舞うかで決まるものなわけです。

それではまた。

 

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