こんにちは、にょろりんこのビジネスブログです。
先日はとある会社さんで、こんな相談をうけました。
曰く――
「正社員登用を希望していた有能なパートスタッフが、不合格になった途端、モチベーションがガタ落ちしてしまった。どう扱えばいいのか?」
まあ、よくある話です。
そのパートスタッフさんの担当はデータ入力。確かに、日々の入力作業はそつなくこなし、現場からも「有能」との評価を受けていました。

事実として、有能・無能は相対評価である
仕事の世界におけるトラブルのほとんどは「勘違い」から生まれます。
経営がうまくいかないのも、商品が売れないのも、突き詰めれば「マーケットのニーズ」「自社の実力」「競合の力」を勘違いした結果です。
これは孫子の「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と同じで、事実を正しく把握できるかどうかが勝敗を分けます。
今回もまさに同じ構図。
パートスタッフ本人が勘違いしてしまったのは、「有能/無能は絶対評価ではなく、相対評価で決まる」という点です。
本質はここにある
彼女が有能であるのは、あくまで 「時給1200円のデータ入力スタッフとして」 有能だということです。
しかし、彼女が希望する 「データサイエンティスト」「データマーケティング職」 として見れば、まだまだ未熟。
この事実に自分で気づけなかった、見誤ったことが、モチベーション低下の根本原因でした。
もちろんここは推測も含みます。ただ、おそらく彼女自身は「自分は有能だ」と思い込んでいた。しかし実際には(データサイエンティストとしては)無能=未熟であるという評価を突きつけられ、モチベーションが下がった──これは遠からず本質に近いと考えます。
そして、その前提に立つと、(事実を突きつけられて)(しかも社内で周囲に見えるような形で)ふてくされた態度を取ってしまったことは、やはり人間として未熟。そういう態度自体もまた「データサイエンティスト職として採用しなかった」という人事評価の妥当性を裏付けている、と言えるでしょう。
成長が止まる
ここまでなら「まあ、そういう人もいるよね」で終わる話です。
しかし、このブログの全体のテーマは 「仕事を通じて人が成長していくこと」。
勘違いの本当の問題は何か?それは、成長が止まってしまうことです。
「自分はすでに有能だ」と思い込んだ瞬間、人は新しい挑戦をやめてしまいます。
「もっと上を目指すには未熟だ」という正しい自己評価(謙虚さ)があるからこそ、人は学び、行動し、成長していくのです。
彼女が有能と評価されているのは、あくまで相対評価。**「時給1200円のデータ入力スタッフとしては有能」**という評価にすぎません。
しかし、その「有能」という評価に満足し、歩みを止めてしまったらどうでしょうか。
社会も会社も日々成長し、基準は絶えず引き上げられていきます。
昨日までは有能とされていたスキルも、明日には「当たり前」とみなされ、やがては「それしかできない人=相対的に無能」と評価されるのです。
成長を止めるということは、現状維持ではなく、実際には緩やかな退化を意味します。
有能な人とは自分の未熟さに気が付く人
有能か無能かは相対評価だと述べました。
しかし、もし唯一「絶対的」と呼べる評価があるとすれば、それは 自分自身の未熟さに気づけるかどうか です。
自分の力を過大評価する人は、そこで成長が止まります。
逆に「まだ足りない」「もっと伸ばせる」と認識できる人は、常に学び続け、成長を積み重ねることができます。
つまり、自分の未熟さに気づけること自体が、有能さの証明なのです。
上司の役割は「未熟さ」を気づかせること
部下が「自分は有能だ」と勘違いしたままでいれば、成長は止まってしまいます。だからこそ、その誤解を正し、正しい基準を提示するのは上司の大事な役割です。
評価の基準を知っているのは、本人ではなく組織やマネージャー側。「今の時給1200円の仕事としては有能。しかし正社員基準ではまだ不足している」
こうした事実をフィードバックすることで、本人は初めて「自分はまだ未熟だ」と気づき、次の成長に向けて動き出せます。
逆に、それを伝えないまま放置してしまえば、部下は「自分は有能なのに評価されない」と不満を募らせ、モチベーションを失い、組織にとっても本人にとっても不幸な結果を招きます。
上司は市場の代弁者であるべき
経営者は市場からのフィードバックを直接受けて、自分の有能・無能を突きつけられます。
では社員はどうでしょうか?社員は直接「市場」と対峙することは少なく、多くは社内の役割をこなしています。
だからこそ、上司は市場の代弁者である必要があるのです。
市場が求めている基準を組織に落とし込み、「このレベルではまだ足りない」「次の給与水準を得たいなら、これこれが不足している」と伝えること。
それが上司に求められる重要な役割です。
上司の言葉は単なる社内評価ではなく、市場基準の翻訳であるべきなのです。
社内評価と市場評価を一致させるべき
だからこそ、本来、評価は「市場にどれだけ価値を提供できたか」で決まるべきです。ところが現実には、社内評価と市場評価が大きくズレてしまうことがあります。
たとえば日本の官僚組織。
もちろん全部が全部そうではありませんが、しょっちゅう問題になるのが「社会全体の利益」よりも「自分の省庁の既得権益や縄張り」を優先してしまう構図です。
つまり、省の論理で見れば「有能な人材」でも、国民から見れば「世の中のために働いていない=無能」と評価されてしまう現象です。
これは民間企業でも同じことが言えます。
社内政治をうまく立ち回ることで「社内では有能」と評価されても、実際の市場価値を生んでいなければ、その人は社外から見れば「無能」と見なされます。
だからこそ、社内評価と市場評価をできる限り一致させる努力が必要なのです。社員にとっても、組織にとっても、そして社会全体にとっても。
最後に少し弁護をすると
ここまで厳しいこと(単なる事実)を書いてきましたが、先ほどのパートスタッフの例を少し弁護しておきましょう。
もしあなたの評価が、社会から見れば有能なのに、社内基準で不当に低く抑えられているのだとしたら――それはあなたのせいではなく、その会社の評価制度やマネジメントの方に問題があります。
市場からの評価と社内基準がズレている会社は、いずれ市場から取り残されます。その場合は、むしろその会社を去ることを前向きに考えてもいいのかもしれません。
ではまた。
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